テレビCMという広告媒体

テレビCMの黎明期

テレビCMと聞いてどんな連想を思い浮かべるだろうか。人によってはあんなCMが懐かしいと思えば、またある人によってはこんなCMがあって非常に不愉快な思いをしたと、そんな風に感じた人もいるだろう。愉快に感じると思うことも有れば、内容があまりにも過剰すぎて突拍子もない、またはあまりにも現実味を帯びすぎてシュールを越えて笑えない展開を巻き起こしていると捕らえる人も少なからずいるはず。ただ一重に共通している事は、それだけCMというものを視覚的に捉えれば、何とも言い知れないインパクトをかもし出しているということだけは、確かだ。

そんなテレビCMという宣伝、もしくは広告媒体として考えれば絶大な印象を残すことが出来るということも証明している。そう考えてみれば様々な感情を呼び起こすCMの凄さを思い知ることとなるが、どれも基本的には商品を購入してもらうため、またはこんな商品があることを少しでも情報として留めてもらうためというところもあるはず。そうでなければそもそもCMという本質を思う存分発揮することは出来ないだろう。

そんなテレビCMなるものが誕生したのは今から大体半世紀前、日本が世界大戦で敗北した後、ようやくGHQからの支配から解放されてこれからの日本を立て直すために政府などが躍起に活動していた頃となる。時間的な尺度で考えれば、それほど長い時間が経過しているわけでは無い事は間違いないが、逆にそれしかない時間の中で宣伝として圧倒的な力を発揮することが出来る媒体を想像することが出来たことも納得できる。

そんなテレビCMが始まり出した時代から現在に至るまで、歴史から見たテレビCMについて考察して行こう。

アメリカから日本へ、テレビCMの始まり

元々テレビは日本でできたモノではなく、科学技術の産物によってヨーロッパ地方から輩出され、その後アメリカへと飛び火するように流れ、その後日本へと流れ着いたといったところだ。ただテレビは日本に登場当初、今では考えられないが高級品として扱われていた。一時期はありえない値段で取引されていたこともあったが、現代では最新型でもなければお手頃価格で入手できるようになった。今でこそテレビがなくてもパソコンが有れば良いという人もいるが、テレビというものが登場したばかりの頃はコレまで見たこともないような最新技術の結晶を目の当たりにして、人々は歓喜に満ち溢れていたといえるだろう。

そんな中、日本で初めてテレビ放送が始まったのは1953年のこと、ただアメリカは世界大戦の最中に導入されたこともあり、1941年という真っ最中にテレビ放送がスタートする。そしてこのアメリカで二テレビ放送から最古のCMが放送されている。気になる内容だが、それは非常に至ってシンプルで『アメリカの地図の中央に‘Bulova WATCH TIME’と表記されているアナログ時計が8時を指している』という、シンプルな静止画のものとなっている。現在のCMとの違いについては放送時間が非常に短いということ、およそ10秒だ。本当に一瞬隙を作ってしまったら直ぐに終わってしまう尺だ、現代では放送の関係上どんなに長くても1分もあるが、基本として30秒CMが現代日本で流れているので、それ以上に短いということ。

では一方で日本で放送された一番最初のテレビCMというものは何かだが、その起源は1953年8月23日となる。内容は精工舎の正午による時報となっており、偶然か否か、そこのところの細かいところまでは詳しく分からないものの、アメリカと同様に針を進めたものとなっている。これはテレビが登場し、今後の社会において何もかもが始まりを意味していたと筆者個人の意見では感じられた。この頃の日本はまさしく、絶望の淵に立たされたどうしようもない状態だった。戦争を積極的に行っていたため、それについてはもはや弁明すらしようがないから仕方のないこととしてもだ。その見返りとして日本が受けた苦渋は国民の意識にも反映され、国際社会という立場にしても地位に等しく相手にされない発展途上国として見られていたことが良くわかる。そんな中で登場したテレビ、そして最初に放送されたCMにはコレからが新しい日本の始まりを意味している瞬間でもあると象徴しているような、そんな気がする。

その証拠として、始まりまでに至る経路こそ異なっているが日米ともに共通しているCMの歴史が意味するところは、『時計と共に時を刻み始めた』ということだ。

始まりから、現代までのテレビ技術に至る簡単な流れ

テレビCMは今でこそテレビをつければいつでもどこでも視聴することが出来るものだ、内容も非常に多岐になっており、一重に捉われることなく様々なCMが放送されている次第だ。そんなテレビCMに関する簡単な歴史、今回は日本がコレまで歩んできたテレビと、そして共に登場して成長して行くこととなったCMの現代までの歴史的流れについて簡単に説明しておく。

  • ・1950年代~1960年代:テレビの登場によって三種の神器とまで謳われた時代から、一般家庭に普及するまでそれほど時間は掛からなかった。変わりゆく日本という国の中で、テレビCMから流れる宣伝によって、様々な名言や流行語が生まれていき、日本の繁栄と共にCMは進化して行く。
  • ・1970年代:徐々に回復していた国としての基盤がある中、1970年代初頭に『モーレツからビューティフルへ』というテーマのCMを富士ゼロックスが放送した。コレが意味するところは今後はただ発展するだけでなく、品物の品質も高めていかなければならないということを意味しており、人々の心に大きな影響を及ぼす。
  • ・1980年代:洗練された技術が磨かれる中、テレビ産業に導入されたのはデジタル技術だった。この技術によってコレまで実写で撮影不可能だった映像も合成する技術も作り出したことで、コレまでにない宣伝を可能にした。この技術は現在までに引き継がれることとなった。
  • ・1990年代以降:デジタル技術の普及によって90年代以降も技術を用いたテレビCMを導入し、そして現代ではもはや2次元で表現できるものであれば何でも再現することが出来るまで、その技術は精錬されたものとなって行く。

広告業界としての起源

テレビCMといわれるものは媒体こそ異なっているが、基本的には広告として分類することが出来る、商業として最大の宣伝効果をもたらす事の出来る具体的且つ効率の取れたものが、毎日テレビで放送されていれば、いやがおうにもその存在を知覚することとなる。広告ともなれば多くの人々に知ってもらうことで商業としての付加価値をトコトン高めることが出来るようになるのだが、広告という言葉そのものはテレビが登場する前から存在している。というよりも、テレビが登場したことにより、広告業界に携わっていた人々は新たな宣伝媒体の手段として、テレビを活用できないかという方法案を模索するようになったと、経緯を順列すればそのようになるのかもしれない。

では日本においていつ頃から広告を主とした企業が存在していたのかというと、それを語るには1897年まで遡る事になる。明治も終盤以降に差し掛かっている最中の折、『東京新聞広告取次同盟会』という団体が発足され、コレが後に続く日本初の広告代理店における業界団体が正式に発足された。発足されたばかりの頃はまだ8社しか所属しておらず、また宣伝するにしても、登場したばかりの頃は日本にテレビなる便利な物は無かったため、発足時はテレビと雑誌を中心とした広告展開が主となっていた。

テレビがまだなかった時代、そして日本で広告宣伝という技術において、足場すらまともに地固めができていなかった頃の宣伝は正直おざなりなものだったが、それでも何とかそつなくこなして行くことによって、少なからずテレビが登場するまでは宣伝が為されていく。昭和に入ると徐々に宣伝方法も多岐になっていき、特に鉄道交通が登場してからは交通広告という広告も盛んになり、なっていった。

そうした歴史が繰り広げていた中で、広告は新聞や雑誌からのみならず、その後テレビにラジオと歴史が発展して行くと共に時代を感じさせる産物にも、広告宣伝を生かした取り組みが行われていく。

流れとして

おおよそ、広告業界の媒体として利用されている道具となっているのは、『新聞』・『雑誌』・『ラジオ』・『テレビ』だが、これらをまとめて誕生の経緯などを表してみると、次のようになる。

宣伝形態 登場年代 情報取得手段
新聞・雑誌 1890年代頃 紙媒体からの視覚情報として入手
ラジオ 1925年頃 音声による聴覚情報として入手
テレビ 1953年頃 視覚・聴覚から情報を入手

新聞と雑誌は目で見ることで情報を取得し、その後に登場したラジオからは耳で音声を聞き取ることによって、情報を感じ取ることになる。どちらも情報を取得するという意味ではもちろん有効的だが、より正確に情報として印象に残るのは、何といっても視覚と聴覚という2つの感覚を用いて視聴することになるテレビだ。こうしてテレビが登場したことにより、広告宣伝としてCMが友好的に活用されることとなるわけだが、そうした歴史をここからはもう少し噛み砕きながら分かりやすくしていこう。

CMという広告媒体としての潜在能力